うみだぬきの楽しいこと探し。

30代既婚子なしの活動記録。

そんな父とこんな私。

ちょっと、いつもとは、違った内容にしてみようと思います。
取り留めもなく書いてみます。

 

うちのお父さんは、とても優しい人です。頼めばだいたいのことはやってくれるし、頼んでもないのに、色んなものを用意してくれます。例えば、「今度釣り堀にでもいってこようかな」というと、クーラーボックス、はりはずし、バケツなど一式を事前に用意してくれます。
そんな父は、とっくに60を超えていて、現在は期間限定のアルバイトをしたりしています。

 

私が小学生の頃に、父親の転勤で鶴岡(藤沢周平の出身地)に引っ越しました。

慣れない土地で、頼る人もいなくて母親も不安だった所もあると思うのですが、

子どもの前で父親に愚痴のように、不満を言っていました。(子どもの私は両親がいると気を遣って明るくしようと頑張ってたんですよ)

父親も父親で、休みの日は決まって釣りにでかけていたので、母親の不満もきっとたまっていたのでしょう。

しかし、父親は一度も反論したことはありませんでした。

私が父親から怒られた記憶は1度くらいしかないです。そして、私にもどういう大人になってほしいみたいな要望は全くありませんでした。

母親も父親へのグチで「何も考えていない」みたいなことをいっていて、

意見が(自分が無い人)なのかなと思っていました。

 

中学になって山形に戻りました。しばらくして、私は不登校になりました。

そのあたりに、近所に住んでいたばあちゃんと2人暮らしをしていたことがあります。

その時に、昔の色々な話を聞きました。

私のひいじいちゃんは、アルコール中毒で怒るとモノを投げたりする人だったそうです。
小さかった私の父親も正座をさせられて、2時間説教させられたことがあったそうで、正座を崩しても怒られる、泣いても怒られる。
アル中だったじいちゃんは、しまいには、ばあちゃんに暴力をふるう始末だったとか。

そんな家庭環境で育ったら、きっと自分がなくなるのは当然なんだろうなと思いました。

ちなみに、じいちゃんはというと、国鉄労働組合を頑張っていたり、夜は飲み歩いていて帰りが遅かったそうで、ほとんど家にはいなかったようです。(子どもの頃、じいちゃんとばあちゃんの部屋にこっそり入り、枕元にあるポットの酔い覚ましの冷たい水を飲むのが好きでした。)

中学生の頃、反抗期もあったのか、私は父親みたいにはなりたくないと思っていて、おばちゃん(父親の妹)に話をしたら、「お父さんみたいになってるじゃん」といわれました。
忘れてしまいましたが、似ている点を指摘されて、はっとしました。いつの間にか、なりたくないと思っていた父親に、似た自分になっていたのでした。

結局、良い所も悪い所も似ちゃうんだなと思いました。良くも悪くも。

私の優しい所は父親のお陰かなとも思います。

 

両親は、子どもが社会人になってから関係が良くなったと思います。

冗談半分で「お母さんが、家出ていくって言ったらどうする?」と聞いたら、真面目な顔で「俺もついて行く」と言った時には、母親と私は笑いをこらえるのに必死でした。

現在は、母親の希望で、母親の実家を建て替えて引っ越しました。(父親の実家は訳あってもうありません。)なかなか父親の片づけがすすまないのは、名残惜しいのだと思います。いくら自分が無い父親でも、自分が建てた家ですもんね。母親に急かされながら、たまに終わらない片付けをしています。そんな父とこんな私の話でした。