今週のお題「人生変わった瞬間」
重度身体障害者とのふれあいだった。
中学2年の頃、不登校だった。これといった大きなきっかけは特にない。
友達の友達とは友達にはなれず、ふと浮くことがあった。
集会の集団説教がすごく嫌いだった。自分が悪いことしていないのに、いつも怒られている気がした。
先生の機嫌がいつも違うことへの違和感があった。
様々なことの積み重ねが、登校前の私のお腹を壊させたのだろう。
先生が電話をくれたり、自宅に勉強を教えにきてくれたこともあった。
しばらくして、保健室や学習室に登校できるようになった。
毎日は行けなかったが、少しずつ行けるようになっていった。
学習室仲間は、5人くらいいた気がする。
60か70代の臨床心理士の男性スクールカウンセラーに大変お世話になった。
ある時、そのスクールカウンセラーに、大学生が主催する障害者ふれあいキャンプに誘われた。
キャンプといっても、田舎の公民館を借りて、2泊3日交流するものだった。
たぶん50人くらいは参加していたと思う。
自分みたいな不登校の先輩も1人いた。
中学生の自分には、大学生は大人で本当にキラキラしてみえた。
そして、重度障害を持った方々に衝撃を受けた。
行動がほぼ幼児と同じ感じで、親におんぶしてもらい喜んでいる40代女性。親も幼児と接するようにしていた。
音の出るおもちゃを耳に当てて、よだれをたらしながら、つま先で歩きまわる男性。
電動車イスに乗り、言葉は話せないけど、喋る機械でコミュニケーションを取る男性。
大学生が用意したレクリエーションに参加したり、手伝いをしながら、様々な人と交流させてもらった。
3日目のもうすぐキャンプが終わる頃に皆で談笑していた。すると、つまさきで歩きまわる男性が、私に近づいてきて、手を伸ばし、私の顔を触ろうとした。
その時、恐怖を感じた。
しかし触られた瞬間、なぜか恐怖が全くなくなった。
障害者を持った人も健常者と言われる人も、みんな同じだと思ったのだ。
理屈ではなく感覚的なもの。
それが、私が福祉の道へと進むきっかけだったと思う。
小さい頃から、身近に障害を持っている人が近くにいると、それは普通なことになる。
健常者と分類される人も、遺伝子レベルでみて完璧な人なんて果たしているのだろうか。人はそれぞれ違う。同じ経験をするがすべて同じ人はいない。人と同じようにしても同じようにできない、同じにならない。その積み重ねがオリジナリティ。色んな考えがあるのは当たり前、理解できることと理解できないことがある。それも当たり前。全てを理解できる人はこの世に存在は果たしているのだろうか。自分は自分、あの人はあの人。ただそれだけ。極論、全ての人が自分自身を100%認めることができれば、他人のことも100%認めることができるのではないだろうか。まずは、今の自分を、できる自分を、できない自分を、認めることから始めようと思っている今日この頃。